2024/08/02
わたしの家の目の前に見える、要塞であり、公園でもある、ドナ・マリア要塞公園。最近、マカオ政府観光局から観光地として認められ、オープンになった場所になっている。
出来上がったのは1852年とあるから、大航海時代後200年も経っている。命名はポルトガル王女、ドナ・マリア2世、(1853年没)から来ているから明治維新の頃だね。ポルトガル・リスボンのルシオ広場にあるマリア二世国立劇場もこの王女からの命名と言うから、ポルトガルでは有名な王女なのであろう。
マカオではこの要塞を囲む道路、(マカオグランプリコースの一部でもある)ドナ・マリア2世道路があり、同王女を讃えている。大航海時代にはマカオは沢山の要塞が作られ、実際に戦争をした記録も残っているが、大航海時代後200年も過ぎた、この1852年ごろ、要塞は何故必要だったんだろう?
イギリスと清国のアヘン戦争が1842年、アメリカ・ペリーの日本への黒船での訪問が1853年、(ぺりーは道中マカオに滞在した)、アメリカ・清国の米清通商条約がマカオ・観音堂で結ばれたのは1844年、マカオ政府は誰に対して警戒をし、ドナ・マリア要塞を作ったのでしょうか?
誰か、ご存じですか? 知っている方教えて下さい。