マカオの乗合バスから見える大航海時代

3隻の船

マカオの町中を頻繁に走っている公共乗合バス。バスの頭にある<行き先>に注意して見て下さい。ポルトガル領であったマカオでは、今でも街中の標識やバス停の名前が中国語とポルトガル語で表示されている。

『殷皇子馬路/Av. Infante D.Henrique』 行きや『科英布拉街/Rua Cidade De Coimbra』行き、『白鸽巣前地/Jardim Camoes』 行きのバスが走っている。路線は沢山あり、当然バス停も沢山ある。

2A路線の『约翰4世大马路/Av.D.Joao Ⅳ』、3A路線には『波尔图街/Rua Do Porto』や『馬六甲街/Rua De Malaca』、『仙德麗街/Rua Cidade De Sintra』などがある。ここはポルトガルではなく、マカオだよ。

因みに、D.Henriqueとはドン・エンリケ航海王子、ポルトガルCoimbra市とはポルトガルの町、伊東マンショがここでオルガンを弾いたと言われている。Luis De Camoesとはポルトガルで有名な詩人、マカオにも来ていて、日本の事も「銀が沢山取れるところ」と表現している。D.JoaoⅣとはスペイン統合からポルトガルを分離独立させた王様ジョアン4世、独立運動にマカオ政府も援助した。

Porto(ポート)とはポートワインの町、ポルトスカーレ、ポルトガルという国名発祥の地。Malaca(マラッカ)とはマレーシアの町、大航海時代により栄え、マカオとの重要交易ルートの町であった。Sintra(シントラ)とはリスボンに近い町、大航海時代の王家のシントラ宮殿がある。

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