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日本人最初の社交ダンス。伊東マンショとビアンカ后妃
伊東マンショは天正遣欧少年使節団4少年の一人、使節団がヨーロッパ歴訪中イタリア・トスカーナを訪れた際、接待された宴会での出来事が動画で表現されています。日本人で最初に社交ダンスをしたのがこの時の伊東マンショだと言われています。この時、伊東マンショは14歳前後でした。
徳川家光とスピノラ神父の交流
マカオ聖パウロ教会(聖ポール天主堂)の設計者はイタリア人スピノラ神父で、科学者でもあります。前壁側面には彼を表す彫刻が見られます。スピノラ神父は聖パウロ教会(聖ポール天主堂)の完成を待たず日本に渡り布教活動にはいりました。最後は最も厳しい弾圧の時代に起きた、元和大殉教事件の一人に名前を連ねる神父でした。
信長とフロイスとチンタ酒
フロイス神父は当時のイエズス会の日本駐在員、レポーターのような仕事をしていました。日本の出来事を沢山イエズス会総本山に報告していました。その報告書が結局中世日本の出来事を残した<歴史書>となったのです。それらの報告書は一時マカオ聖パウロ教会(聖ポール天主堂)に保存されていました。
3Dで蘇る聖パウロ教会(聖ポール天主堂)
現在聖パウロ教会(聖ポール天主堂)は前壁だけが残る、<マカオ世界遺産>の中心的場所です。現地に赴くとかつての面影を残す広い教会跡が伺えます。今回は資料に基づき、3Dによる動画で当時の聖パウロ教会(聖ポール天主堂)を復元しました。教会跡地に立ち、3D動画を見れば当時の教会内にいる錯覚を覚えるでしょう。
ザビエル イエズス会アジア遠征隊の経緯
ザビエル神父は日本で最も有名なイエズス会神父です。イエズス会創設者の一人でもあり、当時のローマ教皇、ポルトガル国王ジョアン3世、そしてイエズス会総長イグナチウス・ロヨラらに期待されたイエズス会のエースでした。エースに相応しく、インドゴア、東南アジア、日本などで大活躍をした神父です。人生最後はマカオから約90キロ西の上川島で亡くなりました。
秀吉とバリニャーノ神父の会話。
秀吉が1587年バテレン追放令を出す前、イエズス会との往来も頻繁にありました。バリニャーノ神父はマカオと日本を計3回も往復したイエズス会アジア巡察師、秀吉とバリニャーノ巡察師とのやり取りも何回もあったことでしょう。
会社名南華旅遊有限公司 South China (Macao) Travel Agency Ltd.
所在地澳門友誼大馬路南方大廈第3座5楼O座 (アーティゼン・グランド・ラパホテル斜め向かい)
創立年1979年1月設立
資本金2,600,000HKD
代表取締役渡邊 章太郎
登録旅行業登録番号No.0013
Tel+853-2870-6620
Fax+853-2870-6624
営業時間9:00-18:00
サービス内容 マカオのツアー・ホテル・フェリー・各種チケット類の手配、
マカオの結婚式ツアー手配、マカオ人向けアウトバウンド業務
渡邊 彰
Akira Watanabe
私は1979年にマカオで日本人向け旅行会社South China (Macao) Travelを立ち上げ、この度マカオ在住50年を記念して「大航海時代のマカオと日本の往来史」歴史動画アプリを制作しました。マカオは今世界一のカジノ産業が盛んな場所としてメディアを賑やかにしています。そのマカオ、かつて世界トップクラスの町として賑やかにした時期がありました、それは大航海時代です。
その時代、マカオ最大の往来相手は日本でした。<マカオ歴史ツアー、大航海時代のマカオと日本>はその時のマカオの栄華、日本との往来史を動画で表現しました。動画を見ながら、かつてのマカオの栄華を感じ、日本との強い絆を現地ツアーで感じて下さい。私はマカオで皆さんのお越しをお待ちしております。ちなみに、動画に出てくる案内人、ドクトルモールは私がモチーフです。わたしがマカオを案内していると思って楽しんで下さい。
最後に、資料収集および動画制作にあたり、朱培貞女士、轡田洋子氏のご協力に対し、ここに深謝の意を表します。